軽里大塚古墳|白鳥陵ヤマトタケルの陵へ行こう

ヤマトタケルの古墳それが白鳥陵!!

軽里大塚古墳は、別名、白鳥陵古墳(しらとりのみささぎ)は、日本武尊琴弾原白鳥陵(ヤマトタケルコトヒキノハラシラトリリョウ)とも言います。

 

つまり、簡単に言えば、日本武尊(ヤマトタケル)の陵です。

 

軽里大塚古墳|白鳥陵ヤマトタケルの陵へ行こう

 

ヤマトタケルといえば、以前紹介した応神天皇のおじい様になります。

 

歴史に全く興味のなかった僕でも名前だけは、なんとなく聞いたことがった人物(神)です。

 

古事記での活躍を見る限りでは、かなり荒々しくバイオレンスな神で、応神天皇と違いかなりファンタジーな世界に入っている気がしますが、ヤマトと名がつくだけあり、正に日本の象徴のような方だと思います。

 

是非一度、ヤマトタケルの神話をお読みされてから、この古墳を見たり訪れたりすると感動があり楽しいですよ。

 

軽里大塚古墳|白鳥陵ヤマトタケルの陵へ行こう

 

話を戻すと、この古墳は、現在宮内庁によって白鳥陵古墳に治定(じじょう)されていますが、埋葬者が考古学的に確定していませんので、仁徳天皇老を大仙陵古墳というのと同じように地名を採った陵での呼び方があるわけです。

 

尚、この古墳は、同地の羽曳野市の名前の由来となった古墳でもあります。

 

その由来となった経緯は、『日本書紀』巻第七に記録されているヤマトタケルが蝦夷征伐の帰路、伊勢国能褒野(いせこくのぼの)で薨去 (こうきょ)つまり、亡くなったと。
そして同地に「陵」を造って葬ったのですが、その後、ヤマトタケルが白鳥となって大和琴弾原(ことひきはら)を経由してこの羽曳野市の古市に飛来し、また埴生野の空を向かって羽を曳くように飛び去った」と伝えられてたのですが、それが羽曳野という市の名前の由来となったそうです。

 

因みに、皇子の墓を「陵」というのは、『古事記』、『日本書紀』においてヤマトタケルの能褒野陵、2つの白鳥陵のみで、とても例外的なのです。

 

現在では、ヤマトタケルの墓を「能褒野墓」と定め、また『日本書紀』の所伝をも尊重し、「白鳥陵」2つを能褒野墓に附属するものとされてます。

 

軽里大塚古墳|白鳥陵ヤマトタケルの陵へ行こう

 

 

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軽里大塚古墳|白鳥陵古墳の大きさと詳細

 

白鳥陵古墳は、羽曳野市のほぼ中央の羽曳野丘陵から東に延びる中位段丘上に築かれた古墳時代中期の大型前方後円墳です。

 

現在宮内庁によって白鳥陵古墳に治定(じじょう)されています。

 

白鳥陵古墳の墳丘規模は墳丘長200メートル、後円部直径106メートル、前方部幅165メートルを測ります。

 

前方部の幅が後円部の直径を上回っており、高さは前方部が3メートル高いなどの他の古墳と比べて形に特徴があります。
また、くびれ部北側には造出しをもち、周りには幅30mから50mの周濠が巡っています。

 

 

白鳥陵古墳の行き方案内:地図

 

 

所在地:〒583-0854  大阪府羽曳野市軽里3丁目

 

近鉄南大阪線の「古市駅」から徒歩でいけます。

 

 

ヤマトタケルの経歴

 

ヤマトタケルは、日本書紀では、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と呼ばれていますが、現代では、日本書紀の日本武尊が一般的な呼称になっています。

 

また、ヤマトタケルは、第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたります。僕が古墳や神社仏閣へ興味をもつきっかけになった応神天皇=八幡神は、ヤマトタケルの孫になります。

 

基本、日本武尊は、古事記などを見るに、ワイルドで好戦的なイケイケどんどんな性格で、父の命令を誤解して、兄を捕まえて惨殺してしまうくらいバイオレンスな神様で、その反面、熊襲征討・東国征討を成し遂げる英雄的存在でもあります。

 

他にも沢山のエピソードがありますが、そこは今回は、割愛します。ご興味のある方は、是非とも、古事記や日本書紀でご確認下さい。

 

結果として、伊吹山の神の化身である古事記では、大猪、日本書紀では大蛇が現れ戦って致命傷を負い、結果として三重県の亀山市の能煩野でなくなります。

 

その後は、ここ羽曳野の白鳥陵にもつながりますが、白鳥になって能褒野→大和琴弾原(奈良県御所市)→河内古市(大阪府羽曳野市)の飛行ルートに立ち寄って天に昇られたそうです。
その3箇所に陵墓を作ったとされ、その一つがここ羽曳野の地名の由来となっている白鳥陵でもあります。

 

 

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