五色塚古墳(千壷古墳)を見学しよう!
五色塚古墳は、兵庫県神戸市の垂水区にあります。
その大きさは、全長:194mの前方部の幅:81m(高さ:11.5m)、後円部の直径:125m(高さ:18m)で、兵庫県下最大規模の前方後円墳になります。また、五色塚古墳は千壷古墳とも呼ばれ、4世紀の終わりから5世紀のはじめにかけて築造されたと言われています。
五色塚古墳がパワースポットって本当?!
最近、五色塚古墳が願いが叶うパワースポットとして徐々に噂が広まってきているそうですが、このあたりの信憑性はわかりません。
ただ、なぜ、これだけ新しい五色塚古墳がパワースポットと言われるのかというと、この五色塚古墳の再現にあたり、発掘調査の際に出てきた古墳時代の石をそのまま使っているという事があるみたいです。いわば、再建してフレッシュなパワーを発信している状態という解釈なのかもしれません。
このあたりは、縁起担ぎ的な話なので、各自皆さんの解釈と理解で良いのかなっとと思います。因みに、僕は良い事柄は、折角なら前向きに受け止めたい派なので信じておきます。
五色塚古墳の埴輪が圧巻!!
古墳が出来た当時、五色塚古墳の埴輪は、全体でおよそ2200本も並べられていたと推測され、墳頂部・上段平坦面・中断平坦面の三段にずらっと埴輪がめぐらされていたようです。
埴輪の大部分は、鰭付円筒埴輪(ひれつきえんとうはにわ)で、4‐6本に1本の割合で、鰭付朝顔形埴輪(ひれつきあさがおがたはにわ)が立てられていたそうです。
この埴輪列は、幅が0.5〜0.7m、深さが0.4〜0.5mの溝を掘り、その仲に鰭がせっするか前後に重なるように並べ、土で固定しているそうです。この埴輪以外にも、蓋形埴輪や家形埴輪、縦形埴輪なども少量ですが発見さているそうです。
因みにこの再建された五色塚古墳の埴輪列は、出土した埴輪をもとに合成樹脂で復元設置されているとのことです。※現地案内版を参考にしてます。
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五色塚古墳の被葬者って誰?
五色塚古墳の被葬者が誰かというのは、明確に解かっていません。
だけど、五色塚古墳の作られた場所が、須磨から明石にかけての海岸線が最も突出したところ造られており、この場所からは、海を見下ろし明石海峡を隔てて淡路島、右手に薩摩灘、左手に大阪湾、天候によっては小豆島や紀伊半島・友ヶ島まで一望することができます。そのため、明石海峡を中心とした海陸交通要衝の地を支配した人物が祀られているのではないかと考えられているそうです。
・・・っと言う内容は、五色塚古墳の看板での説明ですが、他の説もあります。
実は、ここでも僕が古墳や神社巡りをするきっかけになった応神天皇と関係のある人々が登場してきます。それは応神天皇には異母兄弟がいるという事が関係します。
応神天皇の生母である母君の神功皇后は、仲哀天皇の二番目の奥さんで、もともと大中津姫という奥さんがおり、しかも、先ほど応神天皇の異母兄弟と言った香坂皇子と忍熊皇子を生んでいるわけです。
本来なら、大中津姫が「皇后」になりその息子達が天皇になるはずなのに、神功皇后が皇后になって、その子供の誉田別尊が応神天皇になっているというのは不思議だと思いませんか?
実は、九州征伐で仲哀天応がなくなり、妊娠した神功皇后が朝鮮出兵をした帰り九州で応神天皇(誉田別尊)を産んで畿内に帰りの途につくわけですが、このままでは、応神天皇が本来天皇になる自分達を差し置いて天皇に即位すると考えたが香坂王と忍熊王が、帰国の途につく神功皇后を亡き者にしようと計画するわけです。
その計画が、日本書紀にも記録されているとおり、神功皇后と戦争するために、死亡した父親である仲哀天皇の墓を作るフリをして兵士を集めて成敗するという事だったわけです。
その墓を作るふりをして待ち伏せようとした場所というのが丁度、この明石海峡の見渡せるこのあたりなわけです。仲哀天皇という前提での仮想の古墳の規模を考えても、この大きさでも不思議ではなく、様々な条件が合致するわけです。結果的には、お二方の王子は、命を落とし失敗するんですけどね。
ともあれ、推測レベルのお話なので、なんともいえないですが、様々な疑問とサスペンスを残している神功皇后の謎は多いですし、このように全然違う場所で応神天皇とつながるエピソードがあるというのはなんともすごいと思います。こういう事を考えたり想像するのもこういう古墳や神社仏閣巡りの楽しさだったりしますので、是非、あなたもあなたなりの推測をしてみてください。楽しいですよ。
五色塚古墳を動画でチェック!!
↓五色塚古墳はこんなです↓
五色塚古墳の最寄り駅は、こちら!!
【五色塚古墳の場所】
〒655-0035 兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目1
OPEN:9:00〜17:00
12月から3月までは毎週月曜日定休 (祝日の場合は翌日休み)/4月から11月までは無休
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